プロ野球影の功労者 「スカウトの神様」木庭教

木庭教

ひとつの仕事を極めると、伝説や神様と呼ばれる方々がいます。プロ野球界においては、木庭教氏がその人で「スカウトの神様」と呼ばれました。

広島県広島市に誕生、高校は野球部に所属し卒業後は造船関係に就職しますが、1945年の広島原爆投下により被曝します。1955年、広島カープに独自で選出した選手リストを送ったことを期に、カープへ入団し球団スカウトとしての道を歩みます。

1964年の衣笠祥雄氏をはじめ、山本浩二氏、達川光男氏、川口和久氏など後の広島全盛期に活躍する選手を見いだしました。黄金時代における影の功労者です。

当時のプロ野球界で初めてスピードガンを採用した人としても知られています。カープ退団後は1988年の「横浜大洋ホエールズ」から「オリックス・ブルーウェイブ」、「日本ハムファイターズ」でスカウトを歴任、1998年に引退するまで現役活動は40年にも及びました。

2008年5月、隠居生活をしていた岡山県倉敷市で肺がんのため81歳にて死去されています。